本日もブログにお越しくださり、ありがとうございます。
早速地獄の婚活記録をスタートしたいと思うのですが…その前に、私の婚活前のお話をプロローグとしてはさませていただきます。
婚活で自身のマインドを大きく変えるターニングポイントとなった"自己肯定感が低くなったきっかけ"を、説明する必要があるからです。
あまり思い出したくない記憶ではあるのですが、今後の投稿に密接に関わってくるため、頑張って振り返っていきます。
全2回を予定しており、今回は【幼少期編】です。
どうぞよろしくお願いします。
昨日の自己紹介ブログでもお伝えした通り、私は平成初期に北関東のド田舎に長女として生まれました。
実家は、男尊女卑を基調とする家長制度の強い家でした。
祖父や父が仕事から帰ると、祖母や母は献身的に彼らの身の回りを整えて、すぐ晩酌の準備をします。
男手は、座っていれば自動的になんでも給仕されるシステムです。
そして数時間の祖父と父の夕飯~晩酌が終わると、祖母と母はようやく夕飯にありつけます。
当時はこれが当たり前の日常でしたが…今思い出しながら綴っていても、非常に胸くそが悪いです。
ある日、祖父がその晩どうしても食べたい魚があったようで、献立にそれがないと知ると「○○が食いたい!」と怒鳴り散らかし、祖母が急いで自転車にまたがり買い物に出かけ、何店舗も回ってその魚を探し続けるということがありました。
ようやっと購入したその魚を急いで調理し配膳しても、祖父からは感謝の言葉ひとつ出てきません。
その光景が未だに目に焼き付いており、幼心に「私は"女"だから、将来はああやって男の家族に尽くさなくてはいけないのか」と絶望したことを覚えています。
そんな家庭環境から、私は、結婚は女性にとってとても怖いことだと認識してしまいました。
そして、女に生まれたことを少し後悔しつつ、出来れば結婚はしないでおこうと心に決めるのです。

20代に突入すると多くの友人や同級生が結婚をしていきますが、「とても素敵だし、幸せそうだな」と感じても、自分には一切関係ないとして恋活・婚活をすることはございませんでした。
※じゃあなぜ30代で突然結婚をしたいと思ったのか?という疑問が沸いてこられると思いますが、それは後々の地獄の婚活記録の本編にてお話させていただきます。
幼少期に結婚が怖いと認識したということをご理解いただけたと思いますが、自己肯定感が下がったきっかけは、また別の理由となります。
2世帯同居の我が家にはじめて生まれたのが長女の私で、その1年半後には妹が生まれます。
2人姉妹の時は、両親・祖父母ともに分け隔てなく大切に育ててくれました。
しかし、数年後に年の離れた弟が生まれると、彼と私たち姉妹の間には性差という越えられない憎き壁が出現します。
念願の○○家の世継ぎが生まれたので、すべてが弟中心・優先の家へと変わっていきました。
ここでいくつか腹立たしいエピソードでも綴りたいのですが…実は、特筆すべきエピソードはないのです。
喧嘩をすれば、理由も聞かず姉達が怒られる。
気づけば、弟だけいろいろなものが与えられる。
ただただ、我が家にいる大人(とりわけ祖父祖母)が、弟を贔屓し寵愛する毎日を何年も過ごしていきました。
ちなみに、姉達は先に生まれて既にいろいろ恩恵を受けたのでは?と思われるかもしれませんが、自分たちが両親祖父母にしてもらったことを覚えていたので、その差別は圧倒的なものでした。
「同じ家族で姉弟なのに、女の子だと辛い思いをするんだ…」
理不尽な差別に自身をなくし、いつしかそれが大きな劣等感となり、私の自己肯定感は少しずつ低くなっていきました。
こちらが、私の自己肯定感が低くなったきっかけとなります。
婚活に直接関係がないので、弟のその後については触れません。そもそも、全く連絡も取り合っておりません。
ただ、今後奇跡的に子どもを授かることが出来たならば、どんな子でも平等に育てていきたいなと心に誓っております。
以上が、婚活記録プロローグ【幼少期編】でした。
次は、ただでさえ低かった自己肯定感が地の底まで落ちてしまった【思春期編】を投稿します。
本日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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